かたづけ

雑誌・書籍類の整理をした。
本棚があふれかえっておったので、ずっとやりたかったのだけれどばたばたしてたり、疲れててとてもじゃないが片付ける気力が起きなかったりで、手がつけられなかった。
今日はなんとなく思い立って(いちにち雨降りだったのもあるけど)かたづけてみることにした。
いらないものは捨て、残しておきたいものは保存箱にしまってクローゼットにしまう。てかまずはクローゼットも整理しないと保存箱入らないしね・・・。
結果を言うと半日かかった。
なぜかというと、これでもかといわんばかりに懐かしいものがたくさん出てきて、まあ雑誌なんかはまだ「うわーこのひと若いわー」とかで済んでいいんですけど、自分の日記っぽいものもひっさびさに発見してしまい、そのたびに手をとめて読み返して、過去の私の「青春スーツ完全装備」っぷりに「うわぁぁぁぁぁぁ」と頭を抱えながら床をごろごろしたりしてたからだ。
過去の私はほんと暇人で、とにかくくっだらないことをだらだら書いて誰に向けて発信するでもなく自己満足していた・・・。いやそのころの私にはそれが大事だったのはとてもよく分かりますよ?この五年くらいずっと、自分で言うのもなんだが山あり谷ありで精神状態も普通じゃなかったし。あと妄想爆発なのは今も変わってないし。ただ読み返してみても「おまえ、いろいろ考えすぎだって」と肩を叩きたくなってしまう。いまでも考えすぎな人間なのにあのころは輪をかけてひどかった!「もっとシンプルに生きてみろよ」と言ってやりたいっすわ。あーはずかしい。
しかし日記を書き続けている人ってすごいなあ。私は無理だわ。ブログとかならまだ、人目を気にして多少はかっこつけれるけど、日記はそうじゃないものねえ・・・。私みたいな、強がってるけど実は気にしいで弱いところはあまり人に見せられない、醜さは内に内に向けていくしかない、それなのにくそ甘ったれなダメ人間には、日記って不向きなんじゃないのかなあといまさらながら思う。過去の自分に強烈なボディブローくらいつづけながらなんて、とてもじゃないが生きていけないぜ俺!恥かき捨てまくり人生を送っていくしかないのかな・・・。
これはあれですよ、まさに、

時は流れ傷は消えてゆく それがイライラともどかしく
忘れてた誤ちが 大人になり口をあけるとき
小沢健二「流星ビバップ」より)

だ、と思いましたですよ。
そうだね・・・流れ星(が見つかるかどうかはあやしいとこだけど)探すことにしよう、もう子どもじゃないならね。


あと、いろいろつらいことや悲しいこともたくさんあったけれど、それもひっくるめてとにかく楽しくて、もう一度戻りたいと今でも思う大学時代のノート(これはほんとに授業用のノート)とかも出てきて、当時のことを思い出し、あーもう「さよならなんて云えないよ(美しさ)」の歌詞のまんまじゃん!と泣いてしまったよ。大学時代のテーマソングを選ぶとするならこの曲だなあ。
海も、教会通りの坂もそこにはなかったけれど、毎日「くだらないことばっかみんな喋りあ」ってたし、若いから「オッケーよなんて強がりばかりをみんな言いながら」わいわいはしゃいでた。・・すべてが過ぎ去ってから思うのだ、「2度と戻らない美しい日にい」たと。
そして社会人になってしばらくたった今、狂おしいまでに「嫌になるほど誰かを知ることはもう2度とない気がしてる」のだ。特に最近すんごくそう思うようになってきた。いままでわりとこじんまりしたところで勤めていたせいか、感じることがなかったのかもしれないけれど、いまの会社では深く個々人について知る機会って少ないなー、なんか物足りない、でもそれがふつうの会社ってものなのかな、だってそんな濃い人間関係繰り返してたらまともに仕事なんてできないよと思ったり。
あのころのようにまた、嫌になるほど知ることになる人なんて現れるとしたら、恋愛においてぐらいだろう・・・恋愛か、はははと苦笑い。そういえば今年はじめ手相を軽く見てもらったのだけれどそのとき「いまのひとはちょっとちがうかも、でも今年二人現れるみたい、年上の人と、同い年かちょっと下の人」と言われ、「いまのひとはちょっとちがう」の部分が見事に当たっただけに期待、か?そしてそのひとのいう「同い年かちょっと下の人」に当てはまるのが先々月はいってきた後輩だったらちょっと面白いかも。でも同じ職場でそれはめんどくさいかも。