ことばにできない

リレキショ (河出文庫)

リレキショ (河出文庫)

本当はだいぶ前に読み終えていたのだが。(購入して一気に読んだ)
今更な感想になる(2002年発表作なので)かもしれないけれど、あえて書きます。

こういう小説が、読みたかった。

これに尽きると思う。
私が、かたちあるものとして文章にできずにいた、頭の中にあるものを、「ほれっ」とこんなにもカンタンげに差し出されてしまって、くやしいやら、嬉しいやら、なんだか泣き出したくなるような・・・すごくいい時間でした、この作品を読む時間は。
こんなに上手に書いてくれる人がいるんだったら、私は別に自分で何かを紡ぎ出す必要なんてないのかも、とチラリと思う。
でも、目指しているのはこういうの、というのがこうしてかたちとして見えて、少しはやりやすくなったところもあるかもしんない。


たぶん、この世界観、ダメな人はまったく受け入れられないのだろう。
さまざまな不可解がちりばめられているのに、日常の風景は至ってふつう。
登場人物たちはみんなキテレツなのに、感情の動きは細やかで。
・・・私は大好きなのですがね。こういう世界が。
年上の女性に拾われ、その人の弟として生活を始める「僕(半沢良)」、
何でも拾ってきてしまう優しい拾い魔「姉さん(半沢橙子)」、
親友の「弟」とキスをして泣いてしまう「山崎」、
ヘンテコなラブレター(別名・招待状)を黙って「僕」に差し出す「ウルシバラ」…
彼らはみんな、言ってみれば「ごっこ遊び」をして楽しんでいるに過ぎない。
おかしいほどに生き生きと、ちょっと痛ましいほどに楽しげに。
どんなに、いろんなものからはみ出したり、外れたりしてしまっていても。
でも、そういうおとぎ話のような世界の中でも、しっかり踏ん張って、何とか立つことができてさえいれば。
「僕らはどこへでもいける」、のだろう。
(うぅーん、言いたいことの半分も書けていないが、まあしょうがないやね。精進しないとな。)


「僕」は決して、「姉さん」に拾われる前のことを語らない。語らせない。
後半、思わぬかたちで以前の「僕」が見える部分もあるが、それでも詳細は分からない。
「そこが知りたいのに」と思う読者もいるだろう。それが最後まで明かされないから、ちっともよく分からない話だった、と。
でも、語ったところでなんになる?
「あるものをないことにする」作品と、「あるけれどあえてそこは描かない」作品は、まるで違うのだ。
どろどろしたものを描かないのは、知らないわけではなくて、全部知っているけど品があるのでわざとこう表現しているんだ・・・
という風なことをよしもとばななさんが「ハチミツとクローバー」を評してそういっていたが、それと同じようなことが、この作品にも言えるのではないか?
だからつくづく思いました。
私ってそういう作品がほんとぉぉぉに大好きなんだな・・・と。
よって、この作品も、何度も何度も読み返して、そのたびにいろんなことをかんじたり考えたりしたいな、と思う。
そんな、大切な一冊になりました。
通称「中村航・始まりの三部作」の1stらしいので、2nd、3rdも読みます、早速。
で、早く「100回泣くこと」(ブランチの松田哲夫さんもお勧め!)が読みたい。(先に読むかも)


☆超・与太話☆
この話に出てくる「僕」を、「若いころの堺さん(想像)」に脳内変換して読むと・・・
ピッタシ!!イイ(≧∇≦)b!!
ぜひ、20前後の堺さんに演じてもらいたかった・・・いや、今でも十分いけると思うけどさ私は・・・さすがに無理があるかなって・・・ほら、いろんなところから石投げられっかもしんないし・・・
「りれきしょー」と唄うように独りごつシーンなんてもう!!(;´Д`)
鈴木さん役のときの「ブルーライトヨコーハマー」的な、かんじで、ねっ?!!
・・・すいません。(と一応謝ってみる)(←誰に?)