文・堺雅人 第39回

今回のおはなしは、「命」。
雅人様が演じられる家定(現?・家祥ことさっちゃん)公は、35歳でなくなっている、というはなしからはじまりました。そうか、だいたい同じ年のひとを演じるのですね。そしていまの雅人様のとしでなくなる、という。「リアリティ」を演じるさいにとても大事にされる雅人様としては、自身の貧血を思い浮かべつつ、さっちゃんの心情等に思いをはせていらっしゃるのですね。
貧血は女性だけのものではなく、実は男性も結構貧血で倒れたり具合が悪くなったりしているよね。というのも学校につとめていたとき、全校朝礼中意識を失ってばたーん!と倒れた男子がいたりしたなあ、とふと思い出したからだ。あと、かの胸きゅんアスリート成きゅんも鉄欠乏症貧血だそうだ。きっと雅人様もそれだったに違いない。けっして痔などではなく。ええ、フジョシに喜ばれるネタとしての痔でもなく。「男でしょ(実は痔だって)言っちゃいなさいよ」て言われても、ねぇ、雅人様。
まあ痔のはなしはおいといて(だから"痔"って連発しすぎだっつの)、貧血と診断されたとき雅人様が「やっぱり役者はムリなのかなあ」と思った、というのははじめてきいた話だったので、とってもしん、とした気持ちになったのだ。そこでがんばってみようと開き直ってくれてなかったら、ドクターストップがかかるほどの重症だったら、いまの役者としての雅人様には出会えなかったわけで。…つくづく、人生とは、運命とは、わからないものです。

「この命は自分のものであって自分のものではない」
「家定もそんなふうに自分の命をみつめていたのだろうか。」

さっちゃんさっちゃんと日々うかれている私ですが、そんなせつない思いを抱きながら生き、そしてなくなった(かもしれない)家定公を雅人様が演じるすがた、しかとこの目で、みつめていきたいと思います。